井の外の蛙

アメリカ在住15年エンジニアから見た日本

無駄な教育の話

都知事選候補者の一人が教育への投資を訴えているそうで、選挙権はないのですが期待しています。

今の日本の学校のやり方では無償化などでコストを下げたところで意味はなく、根本的に変えるべきです。ただ国が教育内容をすべて決める日本において、東京都の権限でどこまで改革できるのか気になるところではあります。

ゆとり教育は結局失敗だったということになっていますが、それは先生たちの意識改革ができなかったためで、詰め込み脱却という方向性としては間違っていなかったと思います。中途半端なゆとり教育を受けた子供たちが先生になり、本来の意味でのゆとり教育の成果が出るまで待ってから判断できればよかったのですが、文科省にそこまでの忍耐力がありませんでした。

残念ながら、日本の子供は言語の特性上どうしょうもないハンデを負っているのが現実です。英語圏の子供なら26個のアルファベットを覚え、英語ができるようになれば(スペルはちょっと厄介ですが)、そのまま世界で通用してしまいます。このハンデを乗り越えるには、学校で教えることの無駄を極限まで削ぎ落とさなければなりません。

まず以前も書きましたが日本は暗記に時間を使いすぎです。数学や理科の公式を覚える必要がないのはもちろんですが、漢字もキーボード入力が普通になった現代で止めや払いまで正確に書けるようにする必要があるのでしょうか? 変換候補の中から正しいものを選べればいいのでは? 古典も同様。教養としてはある程度知っておくべきだと思いますが、現代語訳で十分です。

さらに無駄なのは技術家庭、あと運動会や文化祭の練習です。アメリカではどちらかというと職業訓練として技術家庭のような授業を行う学校もありますが、必修ではありません。そんなものは文字通り家庭で習え、ということです。また下手をすると運動会自体ありませんし、あってもぶっつけ本番。文化祭的な行事で合奏や合唱をすることはあっても練習は音楽の授業で完結します。当然日本と比べると相当に下手ですが、親は拍手喝采。たかが学校の行事で完璧な演奏をする必要はないのです。

こういった無駄を削ぎ落し、世界で通用するために必要な内容を盛り込んだ教育をぜひ行ってほしいと思います。